習慣にも良いものと悪いものがある
これまでの日本(世界)の歴史の中で、米というのはとても大きな役割を果たしてきています。
日本の食文化としても、当然根付いています。
米を様々に加工して、酒が生まれたり、米を美味しく食べるために料理(和食)・漬物文化も発達しました。
そういった歴史を話し出すと長くなるので割愛します。
これまでの歴史・文化・時代背景の中から、一日3食食べるという文化になりましたし、米を中心とした献立形成となっています。
ただこれは、「米(穀類)が大量に身近にあった」事により発展してきた文化であると考えています。
話が長くなるので、戦後の話からしていきます。
終戦直後、食べるものすら少ない時代でした。
米の他に海外から小麦や脱脂粉乳等入ってきたりしました。
ここでも、食を支えてきたのは、大量の米や穀類でした。
ドカベンという言葉も生まれましたが、大きな弁当箱に大量の白米と漬物や魚一切れというのは、多くみられました。
それでも健康でいられたのは、当時の生活習慣のおかげだと考えます。
インフラも発展しておらず、家電も多くの種類が無い時代です。
今では家電がやってくれている炊飯・洗濯はかまどを使って炊いたり、大量の洗濯物を手で洗っていました。
農業・工業でも、機械が発展してないため、人海戦術・体力勝負で労働をしてきました。
それにより、多くのエネルギーを消費する事ができていました。
様々な習慣のバランスがとれていて、健康被害はそこまで表に出にくかったという事ではないかと考えます。
当時も「生活習慣病と呼ばれるものは」全くなかったという事はありませんから。
それから、車社会となり、家電も様々な種類も誕生し、家事や普段の生活の中で多大な労働力を必要としない時代となりました。
仕事でもデスクワーク中心の仕事の割合が増えてきて、肉体労働から頭脳労働にシフトしてきています。
それくらいから、「成人病」「生活習慣病」「メタボリック」という言葉が身近な存在になってきました。
摂取した糖質により生み出されたエネルギーを消費しきれてない事により発生してきていると考えています。
昔(今も?)は、「米さえ食べて置けば何とかなる」という言い方をしている人もいましたし、私も同様の考えを持っていました。
お腹が空いた時は、米さえ食べて置けば何とかなるという考え方です。
もはや刷り込みと言ってもいいかもしれません。
現在、PFCバランスで「2:2:6」が「バランスの良い食事」と表現されていますし、このバランスになるように食事をしましょうという話を展開しています。
ですが、何をもって「バランスの良い食事」なのか?ということについて触れているサイトは、ほぼ無いです。
あくまでも理想論のような表現をしていますが、
糖質60%で低脂肪の食事というのは1970年代から1980年にかけての日本人の平均的な食生活の統計から割り出された数値です。
そのときに日本人は世界の先進国の中で最も生活習慣病発症率が低かった、だからこの食事がいいんだ、というわけです。
というだけの事です。
たまたまこの時代にマッチしていたというだけで、このバランスを、40~50年程度維持・推奨しているだけです。
当時から、大きく時代は変わってきました。
当時は一番少なかったかもしれませんが、今では4人から3人に一人が生活習慣病リスクを抱えているという現状になっています。
時代が進んでいくとともに、同じような食生活をする事で、増えてきています。
それなのに、このPFCバランスは何も変化をしていないわけなんですね?
とても恐ろしく感じますし、国民の健康目線のバランスではないと考えます。
状況というのは、常に変化するので、その基準も変化しないといけないです。
そうでないと、時代にマッチしないだけですから。
また、基準も一つしかないという事が、とても不可解です。
これだけ科学や文明が発展してきたにも関わらず、食事に関しては「2:2:6」しか基準がないのです。
ここらへんは政治的な背景があると思うのであまり触れませんが、「身体的負荷の大きい人の食事バランス」「身体的負荷の小さい人の食事バランス」「運動を良くする人の食事バランス」「運動をしない人のための食事バランス」というものが、国の指針としてあっても良いのですが、基準は1種類だけです。
現在のバランスが、国のある一部の人たちにとっては、都合の良いバランスなのではないかと邪推してしまいますね。
私は、選択肢が与えられないまま、病気になりたくないです。
治る根拠のないまま、この食事バランスに則った病院食を食べたくないです。
それが栄養士を目指すきっかけでもありました。
こんな状況でも、今まで通りの食事を勧めていきますか?