糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

知識や知識を基にして得た経験・体験は強い味方となる

前回の続きです。
食べ物を食べての「罪悪感」「背徳感」は何故起きるのか?という事の続きです。
 
前提を述べておきますが、ここでは「自傷行為」は除きます。
ただ、文中の

現実逃避の手段
何か非常に困難な事象にぶつかった場合、自分を切ることによってその現実に一時的に対処する際に用いる。
例えば、両親の不和や自分に対する虐待などで「親を愛することができない自分なんかいらない」と自身が認識した場合や、自分のことが原因で友情にひびが入った場合「自分なんかいなければよかった」と思ってしまうケースなどがこれに当たる。
この場合、罰せられることによって「許し」を乞うているとも考えられる。しかしながら、それによって本当に許しが得られるわけでもなく、常習化が進んでしまうとされる。

 

これは該当するかもしれませんね。
ストレス等 → 現実逃避としてガンガン食べまくる(過食) → 体型の変化等から生まれる自己嫌悪
というのは良く耳にしますから。
 
とりあえず本題に入ります。
 
「知識」というのはとても重要です。
それを知っているかどうか?
それだけで、自身の生命を長らえる事も出来ますし、情報強者として相手を心理的に操作する事も可能です。
知識があるからこそ、今では「コレラ」という病気も「コレラ菌」が原因で「経口感染症」である事として、治療であったり、感染予防を行なう事が出来ます。
ですが、江戸時代ではそのような知識はありませんでした。
 
1862年文久2年)には、残留していたコレラ菌により3回目の大流行が発生、56万人の患者が出た。
この時も江戸には入らなかったという文献と、江戸だけでも7万3000人〜数十万人が死亡したという文献があるが、これも倒幕派が政情不安を煽って意図的に流した流言蜚語だったと見る史家が多い。
1858年(安政5年)の流行は相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられ、中部・関東では秩父三峯神社や武蔵御嶽神社などニホンオオカミを眷属とし憑き物落としの霊験を持つ眷属信仰が興隆した。
眷属信仰の高まりは憑き物落としの呪具として用いられる狼遺骸の需要を高め、捕殺の増加はニホンオオカミ絶滅の一因になったとも考えられている。

 

コレラでの死者の数はともかく、対処法がわからない・知識が無いだけで、このようなコレラを原因とする多くの人が世界中で命を奪われた歴史があります。
そして、分からないからこそ、日本では「虎狼狸(コロリ)」という妖怪が原因と考えられ、近づかないようにお札のようなものを張りまくったり、上記のような眷属信仰が生まれたりします。
古くは巫女と呼ばれる存在であったり奈良時代に中国大陸から伝わった道教をもとに「祈祷師」という存在が生まれていましたが、祈るしか対処が無いような状況です。
 
皆さんは、「祈る」という状況になった時は、どのような時があるでしょうか?
 
望むような結果になるようだったり、何かしらの「恐怖」に対して、それを起こらないように・避けてくれるようにと祈る事もあるのではないでしょうか?
 
何かしらの結果が起きるのは、何かしらの原因があります。
その原因を知っているかどうかで、心に平穏をもたらし、脳内の問題意識を小さくしてくれます。
 
さて、これを食事・健康にあてはめていきます。
罪悪感・背徳感が生まれるというのは、
「自分にとって悪い事をしている」
という事を理解している訳です。
「これを食べると、絶対こうなる。でも、食べたい。」→「やっぱりこうなった!ダメだ~~!!」
という感じです。
そして「罪悪感・背徳感」を抱く人の思考の多くは、ここで終わると感じます。
望まない結果となるのであれば、それを避ければ良いのですが、我慢しきれず食べてこうなった。
 
途中の感情はともかく、何かしらの行為をしたら、こうなるという結果は知っている訳です。
それ以降、どうするか?という事で、今後が大きく変わるのですが、ほとんどの人は現状維持の人が多いです。
何かしらの対策をしようにも、始めるキッカケが状態の変化が大きくなってからであったり、年に一回の健康診断の数字をみてからという場合であったり、何かしらの疾病の診断が下されてからという場合が多く、そのためには大きな変化を与えないといけないのですが、それを嫌い現状維持を望んで、たいして効果も得られない手軽な方法ばかりを選択しがちです。
結果、自分がどんどん望まない結果に進んでいくわけです。
 
何も自身に変化を与えず、欲望のままに進んだら、もたらされるのは望まない結果となるのは、当然です。
その結果で、「〇〇になってしまった。もう駄目だ~」と言われても、「そらそうよ」となるだけです。
勉強しないで、高いレベルの志望校や試験に合格出来ないのと一緒です。
変化を継続していければ、そして変化の幅が大きいほど、目に見えての変化・効果を手に入れる事が出来るようになります。

横道ばかりで少し長くなってきた。
続きます。