糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

お菓子を食べる事で生まれる罪悪感とは?

お菓子や糖質を摂る事で、罪悪感が生まれるという様な記事があります。
そのために「糖質も罪悪感もカットしましょう」というようなサイトも見かけます。
記事は適当に「糖質 罪悪感」でググりました。
別に中身にほぼ触れてないので、リンクを見なくても大丈夫です。

それでは、まず、いつもの言葉の定義からです。
罪悪感(ざいあくかん)(guilt)とは、罪を犯した、悪いことをした、と思う気持ちのことである。
自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる嫌悪の感情のことである。
自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。

 


私はこのような話を聞くと、いつも不思議に思います。
 
「何の罪なのでしょうか?」
似たような言葉で、
「身体に悪そうなものを食べる時、美味しいけど背徳感が凄い」
とかいう声も聴いた事があると思います。
背徳感
読み方:はいとくかん
本来あるべき人の道から外れた、または背いたという後ろめたい感覚。罪悪感。

 


「なぜ、自分の行為を悪とみなすのか?」
という事も不思議に思います。
 
自分のやった行為は、間違っているのでしょうか?正しいのでしょうか?
 
お菓子を食べる事が、糖質を摂取する事が、本来あるべき人の道から外れた者なのでしょうか?
何に対しての罪悪感が生まれているのでしょうか?
 
一般的には、「〇〇の行為は間違っている(悪)。私の提供する情報が正しい(正)」という主張で溢れています。
そもそも、この前提部分がおかしいと考えます。
 
糖質でもお菓子でも肉でも、人間の身体というのは、食べてきたものの結果と環境で今の姿となっています。
糖質を食べて罪悪感を感じたり、間違っているとするのは、自身の行為・これまでの歴史・習慣を否定する考え方です。
 
私はというと、あるとすれば「目標達成のために効率の良い行為なのか、悪い行為なのか?」という事です。
 
何かしらの食事を続ければ、何かしらの変化は当然生まれます。
その中で一つを取り上げて「罪深い」とか「自分は誘惑に負けた」とかするのは、いちいち面倒では無いでしょうか?
毎日食べる白米やパンや麺といった糖質を食べて、いちいち「もう駄目だ」とか思っているのでしょうか?
大変ですね。
 
「食べる」という行為は、自発的に行なうものです。
身体の変化は、「食べたもの」により引き起こされます。
なぜ、自分が行った行為を「否定」するようなネガティブなイメージを持つのか?意味が分かりません。
 
食べたとするのであれば、それが身体に吸収されます。
ちまたでは「食べた物をリセットする」ような話もしていますが、一度吸収されて血肉となったものを、リセットする事は不可能です。
めちゃくちゃミクロな話をすると、たったのひと呼吸でも、その前後で身体は変化しています。
細胞内でC(炭素)の交換がこの瞬間にも行われ続けていますから。
 
人間が変わるきっかけというのは、色々あると思います。
一つ挙げますが、「排除」があると思います。
今までの生活・習慣で優先順位の低いものをどんどん省いていく事で、暮らしに変化が生まれます。
 
で、その「排除」を実際に行動に移すにはどうしたらいいか?
「受け入れる事」です。
 
「カロリーの高いものを食べた」としても、上記の考えを持っているような人だったら、「やべー」とか「やっちまった」というようなネガティブなイメージを持つ人は多いと思います。
ですが、「それで?」「だから何?」というような、英語でなら「So what?」という感じでただの日常と受け止めれば良いと思います。
「食べたいものを食べた。それ以降は普段通りの生活をすればいいじゃない?」という感じのスタンスで十分であると思います。

私もこのような考えを持っていますので、たまに食べたくなったら、天ぷら・寿司・ピザ・ラーメン等、食べに行きますし総菜で買ったりします。
食べて大満足です。
罪悪感や背徳感など、微塵も感じません。

ただ、こういった考えを持つためには、受け入れる事が大事としましたが、もう一つ、前提として重要なものがあります。
 
「知識」と「知識を基にしてえた経験・体験」です。
 
この話をすると長くなるので、続けます。