糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

ある呟きをみての所感

 

現代栄養学(標準的な栄養学)を否定する管理栄養士の皆さんへ
昨今の食や栄養の多様性は喜ばしいし、管理栄養士として研鑽すべきだと思います。
ただ、現行の現代栄養学を否定して栄養と健康を語るのであれば、管理栄養士の国家資格は返納してからにした方がよろしいかと思います。
それが未来の管理栄養士のためです。

 

というツイートがありました。
どんな人ですか?という質問に対して、

なんとなく分かるかもしれませんが、糖質制限関係の方ですね。
食事摂取基準の推奨量などでは到底足りないと言われたり、さらに栄養を自己流で学んだ一般人までもがそんな基準では全く足りないと言ったりしていますから。

 

と、主張の論調として下記を例にだしています。

promea2014.comドクターシミズの独り言

 
と、なぜか糖質制限食を推奨している管理栄養士ではなく「医師」のブログ記事を挙げています。
 
私の考えですが、半分は賛成です。
相手の主張を否定する事は無駄ですが、議論をぶつけ合うという事は良いことだと考えます。
それで、こういう効率の良い方法があるのか?現場ではこのようにされているのか?と、新しい学び・経験とする事が出来るからです。
これまでも「引き出しを増やす」という話をしてきましたが、これにも繋がるからです。
色々な症状に対してパターンで対処しやすいのですが、そこに色々な情報を組み合わせて、手順や方法論を変化・検証という部分が生まれやすくなっていき、結果、患者様・情報提供を受ける側のメリットにつながると考えます。
 
ですので、半分は賛同です。
 
でも、残りの「管理栄養士の資格を返納してから」という部分については賛同しかねます。
 
私は現代栄養学を否定をしないで糖質制限を推奨する管理栄養士ですが、彼がイメージする管理栄養士に該当するかどうかは分かりません。
範囲の定義が中途半端なので、私は該当しないと勝手に思っています。
ですが、私が考える「現代栄養士を否定する管理栄養士」とする範囲の人に対して、資格を返納しろと言うのはおかしな話でもあると思います。
ただたんに、それは思想を潰しているだけのコメントに捉えてしまいやすいからです。
 
栄養士に関してですが、定義としてこのように栄養士法が明文化されています。
 
この法律で栄養士とは、栄養士の名称を用いて栄養の指導に従事することを業とする者をいう。
この法律で管理栄養士とは、前項に規定する業務であって複雑又は困難なものを行う適格性を有する者として登録された栄養士をいう。
 
栄養士とは、都道府県知事の免許を受けて、栄養士の名称を用いて栄養の指導に従事することを業とする者。 管理栄養士とは、厚生労働大臣の免許を受けて、管理栄養士の名称を用いて、傷病者に対する療養のため必要な栄養の指導、個人の身体の状況、栄養状態等に応じた高度の専門知識及び技術を要する健康の保持増進のための栄養の指導並びに特定多数人に対して継続的に食事を供給する施設における利用者の身体の状況、栄養状態、利用の状況等に応じた特別の配慮を必要とする給食管理及びこれらの施設に対する栄養改善上必要な指導等を行うことを業とする者。 

 

というのが、栄養士の定義です。(栄養士法第一条と補足)
つまり、方法論や対象者の範囲はどうであれ、

傷病者の療養や個人の身体状況に合わせた健康促進ために必要な栄養指導・栄養改善上必要な指導等を行うことを業とする者

 

を根底としているのであれば、なにが問題なのでしょうか?
 
前回までに原因不明だと言われる「IBS」では、治療法は確立していません。
「これを食事で改善出来ますよ」
とアピールしているのですが、それは彼の言う「現代栄養士を否定する管理栄養士」に該当するのでしょうか?
一般的な考え方の食事で改善出来ていないにも関わらずです。
 
世の中には、「守破離」という言葉があります。
 
もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。
修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。
師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。
さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。
「本を忘るな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。
無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っており、これは十八代目中村勘三郎座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。
個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。

 

 
私は、この考え方はとても重要だと捉えています。
以前の記事にも投稿したのですが、「現状維持」とは、「衰退」と同義でもあります。
そして、世の中の考え方や知識は、ネットの発展もあり依然とは比べ物にはならない程のスピードで進化しています。
それを取り入れたり実践したりせずに頭から否定をするのは、おかしな話です。
可能性があるのであれば、より効率良い方法があるのであれば、それは取り入れる方がよいと考えます。
 
栄養士の教科書には、それぞれの症状対して「唯一の方法」しか載っていません。
ある程度のパターンはありますが、基本的には一つの道筋しかありません。
それに反する事であれば「管理栄養士の資格」を返納しないといけないのでしょうか?
今回は「管理栄養士」に対しての発言ですが、一般の人が栄養の事について語ったら、「まず栄養士になってから話をしろよww」とでも言いだすのでしょうか?
一つの道筋以外を許せないと感じるからこのような発言をするのでしょうから。
こういう人は、そういう発言をしないとも限らないので、怖いですね。
「マウントをとりにくる」と意識している・感じているという事は、「マウント」について敏感になっている状態ではないかとも感じます。
このような発言をするという事は、「私は知識として学んだ内容を遵守している。それ以外の事を話すなんて、何をバカな事を言っているんだ?」とマウントをとっているように感じます。
 
自身も考え方が変わらなければ、自身の考えをゴリ押しするしかありません。
そんな事で目の前の苦しんでいる人を救う事が出来るのでしょうか?
出来なければ、道を外れない程度で色々なアプローチを踏んででも、救ってあげたいと考えるのが正しい姿ではないでしょうか?
それで救うのに効率の良い方法が「糖質制限」であったとするのであれば、それを用いれば良いだけだと考えます。
 
自分の気に入った内容だけで語っていたら、上記の守破離の「守」だけを実践しているにすぎません。
そこからは何も新しい発想が生まれないです。
私は「守」だけの考え方しかない栄養士・菅理栄養士・医療関係者は学習意欲が小さい人だったり、狭い世界の中にしかいた事が無い人だと感じます。
 
勿体ないですね。
 
あらゆる手段をとっても、相手がメリットと感じる事に繋がるのであれば、実践すればいいと考えます。
 
逆に、上記の栄養士法に反するような行為をしている人は、返納ではなくはく奪でいいとは思います。
相手を不幸にしている場合が多いからです。
 
菅理栄養士に限らず、どのような資格にも、凄い人・使えない人とレベルの差はあります。
ですが、栄養士としての概念を大事にしながらも、色々な方法論を模索してでも多くの人々の健康に貢献しようとする行動を否定する事は不要であると思うし、これまでと異なる結果が出たらもみ消すような行為をする方が悪手であると考えます。
法令として定めている項目があるにもかかわらず、ご自身のよくわからない定義で、「管理栄養士資格を返納せよ」とするのは、いささか独善的・独裁的では無いでしょうか?
 
未来の管理栄養士のためと話してますが、本当にそう思っているんでしょうかねぇ。
未来の管理栄養士のためであれば、「破」「離」という事も大事だと教えないといけないのではないでしょうか?
広められたら困る内容でもあったのでしょうか?
 
と邪推してしまいます。
 
自身の利益を優先するのか?
 
患者の利益を優先するのか?
 
ここに差が生まれると考えます。
 
はたして、このツイートをした人は、どちらの考えをベースに発言しようとしたのでしょうか?
 
という感じで、ここまでにしたいと思います。