糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

マクロビとは「人間一生排毒」生活らしい

前回の続きで、マクロビの第一人者と呼ばれる方のサイトを参照に話を進めさせていただきます。
 
さて、この方もそうだと思いますし、マクロビ実践者の多くは、タイトルのように「毒」という言葉を簡単に使います。
 
・毒素は老若男女どんな人にもたまってます。
・若い時はどんどん溜めるがピークを過ぎたら溶け出す
・これが更年期障害やその他さまざまな症状の原因となる
 
という感じで、この方も「無塩食概論」という理論を推奨しています。
 
さて、これだけを聞いてわからない点があります。
マクロビが指す「毒素」って何でしょうか?
 
毒素がたまっている
毒素は排出しないといけない
そのために完全穀物採食が必要だ
 
という流れは分かるのですが、その流れの源流である「毒素」の正体については、ハッキリと分かりません。
ひょっとして特定のものではなく、
「身体の不調 = 毒素がたまっている」
という事なので、原因は何でも良いのでしょうか?
 
毒素 = 体調不良の原因・諸悪の根源」
という様な考え方をすると仮定しましょう。
 
この構図にとても似ているものがあります。
宗教です。
原因を追究せず、「悪影響を与えるとしたもの全て」を「毒素」と断定し、それを追い払うためにはマクロビが一番だ!
と、アプローチする方法です。
これにより、結果が出るまでに数年かかるが、その数年を費やして今までの毒素を出しているのだ!
 
 
2019/02/26追記
宗教に置き換えると、「悪影響は悪霊のせいなのだ」「それを追い払うには祈りを捧げたり、聖水や壺や印鑑を買って肌身離さず持っておくのが一番だ」「変わらないのは、あなたの祈り力・信仰が足りないからだ」「私の施設で24時間修行するのじゃ~」「布教活動を行うのじゃ~」といった感じに近いと感じます。
これにも全く科学的な根拠はありませんから。
追記ここまで。
 
 
この儀式のようなルールがいくつもあるのだが、全て継続してやり続けるのだぞ!
そうする事によってあなたの毒素は排出できるのだ!!
という感じです。
 
科学的な根拠がまるで無いのは以前からの流れを読んでいただければと思います。
精神的に追い込まれた人であれば、特にこの話は浸透しやすいです。
  • 複雑なルールを与える事
  • 改善は見られないが、やり続ける事が目的
  • ルールをこなしていく事で達成感が得られる
  • 他の方法を試そうという思考力は無いので、より与えられたルールにのめりこむ。
こういった感じで、マクロビが宗教化されているのではないか?という前回からの話のさらなる裏付けとしたいと思います。
 
さて、この方も話しているのですが、

マクロビをやり始めると、どうしても最初のうちは過食気味になります。
そしてまた、身体の倦怠感も数カ月間は続く事があります。眠気などもあるかもしれません。
それまでの身体のダメージにもよるため非常に個人差がありますが、これらは1年くらい続く事もあります。
一度過ぎ去っても、またやってきたりします。
これが、排毒です。しかしこれは、食事内容をしっかり修正していく事で、改善されます。
速い人で1~3週間で解消する場合も有ります。

 

マクロビをやり始めると、なぜ過食気味になるのでしょうか?
理由を探し出せませんでした。
そして、倦怠感が数か月も続くのであれば、それは危険な方法では無いのでしょうか?
私はどんなにかかっても1カ月で改善する食事方法を知っているのですが、なぜそんなに倦怠感が続く状態を推奨しているのでしょうか?
 
食べるものが身体を作ると話をしているようですが、食べているもので倦怠感が取れないというのであれば、それは避けないといけない食事では無いのでしょうか?
それが数日であれば我慢できますが、何故そんな複雑なルールを踏襲して、数か月~1年くらいもも疲れた状態のまますごさないといけない理由が分かりません。
対象者の思考力を奪いたいのでしょうか?
「これが排毒です」と言いますが、排毒のために数か月以上も辛い思いを継続しないといけないのですか?
 
また、食事内容をしっかり修正して、早い人で1~3週間で解消する場合もあるという事ですが、少し理論展開が良く分からないです。
マクロビをやって排毒のために数か月から1年くらい続くと言っているのですが、食事を改善する事で1~3週間で解消するとも言っています。
マクロビで食事を改善しているのではないのでしょうか?
マクロビの食事をさらに改善すると短期間で解消できるとしてるのでしょうか?
一度排毒して毒素がぶり返してきたものが短期間で解消できるという事なのでしょうか?
何か、話しの展開の雲行きが怪しいです。
 
続いて、

夜に過食という状態は、身体が陽性になっているのです。
つまり、体内の陽性毒が処理されていないわけです。
陽性の排毒は、主に夜に強く出ます。
甘い物が欲しいのも、陽性の排毒が出ているためと思われます。

 

私は普段からガンガン肉を食べています。
基本、肉と脂を中心に食べて、少量の野菜という感じの生活です。
マクロビから見たら、めちゃくちゃ陽性に偏った食事だと言われると思います。
でも、私は夜に甘い物は必要としません。
もっと肉や卵を食べたいとは思います。
私は排毒は起こってないという事なのでしょうか?
陰性の食事をしてないので、排毒が起きてないという事でしょうか?
でも、特に身体の不調は起きていませんし感じてません。
私は毒がたまってない状態なのでしょうか?
 
また、「過食」という言葉を用いてますが、「何をどれだけ以上」というのが明記されていません。
個人差という言葉を使えば逃げられると思わないで欲しいです。
基準を設けて、「これくらいの体格や活動量であれば、これくらいが目安だ」というのは表現しないと、論理的ではありません。
感覚で話をしてはいけないです。
それをすっ飛ばしてイメージで「過食」「小食」としても、それこそ個人差があります。
話し手が考えているベース部分をハッキリさせなければ、誤解が生まれます。
その結果が「マクロビが色々な方法が派生している」という事に繋がっているのではないのでしょうか?
 
そして別のブログで、

故大森英櫻先生のすすめていらした、完全穀物採食(動物性のものは一切摂らない)というかたちが、完璧に無双原理に、本当に間違いなく見事にあてはまる、という事です。
マクロビオティックの提唱者である桜沢先生がご自身の著書に書いていた間違いについて、初めて指摘したのが大森英櫻先生だったのです。

 

そんな事を文字にするから、私は宗教色が強くなると感じます。
いったい何なのですか?
「完璧に無双原理に、本当に間違いなく見事にあてはまる」って。
指導者に対する称賛・賛辞ですか?
こういう賛辞を指導者に送っている国を北の方で見た事がありますが、気のせいでしょうか?
 
私は、色んなサイトを見てきましたが、食事方法の表現で「正しい」「間違った」といった言葉を持ち出している所を、基本的に信用していません。
なぜなら、この手の表現は、他者を全否定して「自分の方法がベストだ」とするような表現になるからです。
 
私も健康に関する考え方も持っていますが、どんな内容を差し置いてでも「自分が正解で間違いなど一つもないし起こり得ない」という事を言い切る事は出来ません。
なぜなら、検証は随時必要で、間違いとされる事も正しいとなる事は往々にしてあるため、完全否定をする事に足るものであるかどうかを現時点で全ての点で判断は出来ないからです。
当然ですね。
時代とともに分からなかった事も分かるようになっていくわけですから。
そう言う事を積み重ねていく事で補完出来ていくのですが、上記の表現だと、それ以外は許さないという「独裁的」な印象を受けてしまう訳ですね。
だって、それ以外は完璧に無双原理に、本当に間違いなく見事にあてはまらないわけですから。
そもそも、「完璧なもの」というのも、存在しないと思います。
理想論の中では存在するかもしれませんが。
 
先ほど、独裁的としましたが、もう一つこのような表現をするものがありました。
 
宗教です。
 
宗教には経典というか、聖書というか、そのようなものがあります。
それはベースになっているので変更が効きません。
なので、その理論は、倫理観や常識にとらわれず、その中にかかれているものが絶対になります。
信者は全てを肯定していくのですが、当然それにそぐわない考えを持つ人も生まれます。
 
その時にどうするか?というと、「説教」が始まります。
説教は色んな方法があります。
言葉であったり、拳(物理攻撃)であったり。
それでも考えが浸透しなければ、弾圧が始まります。
宗教戦争の多くは、このような事があるからじゃないかと勝手に考えています。
宗教は、経典・聖書に疑問を抱きません。
このサイト主の考え方だと、疑問を挟まないわけですから、宗教的な考えになっています。
だから細かい数値の基準など、どうでもよくなっているのかもしれませんね。
信じる理論以外の可能性を軽視・無視しているからだと感じます。
このような考えは、危険でもあるので、私は「怖い」と感じます。
 
思考停止の状態ではなく、試行錯誤をしていかないといけないというのが、推奨者のあるべき姿だと思うのですが、どうでしょうか?
 
長くなってきたので、ここで切ります。