糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

粗食のイメージと現代の食事のギャップ

trdschoolmm99.hatenablog.com

 

このテーマの続きです。

色々な所(テーマ)に食指を伸ばすので、順番がバラバラになってしまっていますが、ご了承下さい。

 

 

粗食と一言で表現していますが、本来の意味は「粗末な食事」です。

粗末というのは置いておくとして、粗食というのは、相手の立ち位置によって受け取り方が違うものだと思います。
決して、それ自体が悪いと言っている訳ではありませんので、よろしくお願いします。


献立としては、ご飯と汁物をベースに、主菜・副菜・漬物のいずれかで食べる食事の事を指すと思います。

書店で探してみると、「一汁一菜」「一汁三菜」というような表現で、献立を紹介しています。

こういった食事をする事で、日本文化を感じましょうとか、この食事は美しいですとか表現しています。

 


日本には、色々な料理の分類があります。


大饗料理

現在知りうる範囲で、最も古い料理様式が大饗料理となる。
大饗料理は、藤原氏など高位の貴族が、大臣に任じられた時や正月などに、天皇の親族を招いて行う儀式料理である。
ただ、この時代は料理といっても、生物や干物などを切って並べたもので、味付け自体は、自分の手前に置かれた四種器と呼ばれる小さな皿に、塩や酢あるいは醤などを自ら合わせ、これに浸けて食べるだけであった。
これは料理の最も原始的なもので、それぞれが餃子のたれを好みに合わせ作って食べることに似ている。

 

・精進料理

大饗料理以後のまとまった料理様式としては、禅宗の僧侶の間で行われた精進料理がある。
平安時代末期には、奈良仏教や天台宗真言宗に対する不満が高まり、真剣に仏教を志す僧侶のなかには、中国での仏教修行を試みて南宋などに渡るものが少なくなかった。
当時の中国仏教界では、禅宗が最も重要視されており、そこでは肉食忌避の思想に基づいた精進料理が主流であった。

精進料理は、穀物粉を用いたものや、さまざまに味付けられた野菜類・菌類のほか、果物類が主体となっている。
そしてスッポン・イノシシ・ガン・カモなどといった動物名が示すように、植物性食料を鳥獣肉に見立てて、それに近い味を出すところに特徴がある。
こうして肉食への願望を、調理技術によって満たそうとしたのが精進料理であり、先にも述べたように、その実現には高い技術力が必要とされた。

 

本膳料理

大饗料理の儀式的要素と精進料理の技術的要素とが組み合わされたもので、ここに本格的な料理様式が成立をみた。
しかも膳を用いて、七五三という奇数の膳組を基本とするところから、極めて日本的な要素が高いとみなすことができる。
すなわち中国では、大饗料理のように卓に料理が盛られて、その皿数は偶数であったが、本膳料理では銘々に膳が用いられ、奇数の料理を据えて、箸のみが使われるようになった。

本膳料理の構成は、酒を中心とした献部と食事を主とする膳部とからなり、膳には汁が伴っている点が注目される。
そして儀礼的要素が強い式三献に始まり、初献・二献・三献と続いた献部のあと、七五三の膳という膳部に移り、与(四)献以後、一七献あるいは二一献という献部が再び続いて全てが終了する。


大饗料理は高級貴族、精進料理は寺院の僧侶、本膳料理は武士の間で、それぞれ儀式の際に味わうようなものでした。
その後に登場してきたのが、懐石料理です。

 

・懐石料理

堅苦しく延々と続く本膳料理ではなく、その一部の美味しい部分を、自由に楽しもうとして発展をみたのが、懐石料理である。
従って懐石料理は、本膳料理の一部を切り取ったようなものであったが、基本的には料理を楽しむということに力点が置かれている。
しかも懐石料理は、茶の湯の発達に伴うもので、茶会でお茶を最も美味しく楽しもうとする精神から生まれた点が重要であろう。
とくに茶の湯は、禅院の茶礼と関係が深く、精進料理の系譜にも繋がっており、味覚面のみならず精神面も重視された。

懐石料理で、季節性を重んじて旬の素材にこだわるのは、そうした理由からであった。
さらに、その茶会の一時を大切にするため、食器にも心を配り、盛り付けにも気をつかった。
こうして季節感のみならず色鮮やかな料理や食器の配置、合理化された作法によるもてなしのほか、料理を味わう空間のしつらえにも最善を尽くした。
もちろん暖かいものを暖かいうちに戴けるように、料理を出すタイミングにも充分な計算が施されている。
こうして世界的にも評価の高い懐石料理が生まれたのである。


このような時代背景がありますが、南蛮貿易の最中で天ぷらが伝わってきたり、明治維新とともに西洋食文化が入ってきたりしています。
第二次大戦末期・直後は非常に食事の供給量が追い付かなかった時期もありますが、小麦や牛乳の普及や、肉・加工品の流通が進み、現在の食事に至ります。

それから現代に進むにつれ、コメの消費量が低迷していくのですが、それは別の話(になると思いますが、どうでしょうか?)。

一般的には、ここら辺が「食の多様化」という表現が用いられるようになるきっかけだと感じています。

 


現代で「粗食が良い」と持論を抱いている方は、何をもって「粗食」としているのでしょうか?

恐らくですが、本来の意味での「粗末な食事」を指すのではなく、懐石料理の良い所をとって、季節感を感じさせる食材をふんだんに使用したものであるのではないかと憶測します。

 

それを前提に話を進めていきたいと思います。

 

次回に続きます。