糖質制限食 栄養のあれこれ

糖質制限食や栄養に関する事について、管理栄養士・登録販売者の視点で考えていきます。

糖質制限食の歴史

糖尿病の歴史は、結構古いです。

有名どころで言えば、夏目漱石(1867~1916)も罹患していたという過去があります。

大正5年(1916)正月、右の上膊(上腕)神経に強い痛みと右上膊(上腕)の不全麻痺。
薬、マッサージは無効。
4月、糖尿病と診断。
教え子の医師真鍋嘉一郎により、5月から、当時の最先端治療の厳重食を開始。
尿糖は消失。
7月終わりには、右の上膊神経に強い痛みと右上膊の不全麻痺が改善。
神経衰弱の症状も減退。
糖尿病も改善。
11月、胃潰瘍が再発。
12月9日、胃潰瘍による出血で死亡。

 

という症状の経過があります。

ちなみに「厳重食」というのは、今で言う糖質制限食です。

 

糖尿病患者の厳重食
香川綾 昭和13年(1938年)
女子栄養大学「栄養と料理」 第4巻第4号 p46 糖尿病の手当と食餌療法
香川昇三  昭和18年(1943年)
女子栄養大学「栄養と料理」 第9巻第5号 p27 糖尿病患者の厳重食

上記によれば当時の厳重食は、
肉類(牛、豚、鶏、魚肉、内臓、心臓、肝臓、舌、膈、腎臓、骨髄)
貝類 膈
卵類(鶏卵、鳥卵、魚卵)
脂肪類(バター類、豚脂、ヘッド、肝油、オリーブ油、ごま油、)
豆類(豆腐、油揚げなど)
 *味噌は少量
野菜(含水炭素5%以下)
 ・・・小松菜、京菜、白菜、筍、レタス、蕗、大根、アスパラ・・・
果実(含水炭素の少ないもの):びわ、すもも、苺、いちじく、メロン、パイナップル、パパイヤ、りんご、蜜柑、夏みかん
 *梨、ブドウ、柿、バナナはやや糖質が多いので警戒を要する。

 

で時代は流れ、糖質制限食のガイドラインとして、食品交換表を1965年に初版が発行されました。

それまでは、各医療機関が独自に食事療法を指導していて、共通テキストはありませんでした。

それで全国から医師が集まって、東京で何日も討議を重ねて、全国共通食品交換表が誕生しました。

初版は「医師・栄養士・患者にすぐ役だつ糖尿病治療のための食品交換表」という名称でした。

 

解説には、食事療法の原則として

①適正なカロリー
②糖質量の制限
③糖質、たんぱく質、脂質のバランス
④ビタミンおよびミネラルの適正な補給
と記載されています。

ここで大事な事は、2番目には驚くべきことに「糖質量の制限」と明記してあります。

 

ところが、1969年の第2版になると

①適正なカロリー(カロリーの制限)
②糖質、たんぱく質、脂質のバランス
③ビタミンおよびミネラルの適正な補給

と変更されて、「糖質量の制限」が削除されています。

糖尿病食事療法の原則から、「糖質制限」が消えて、「エネルギー制限」が登場したのが2版です。

ただし2版の解説文には、

「糖質の量は一般に普通の人に比べるとかなりの制限になりますが、これは適正なカロリーの範囲内において、たんぱく質、糖質、脂質の適正な補給を行う結果です。糖質を特別に制限する学者もありますが一日100g以上の糖質をとることは必要です」

と記載されています。「糖質制限」の文言は消えたけれど、まだ香りは残っています。

当時の糖尿病学会の記録に、

「糖尿病の食事療法として最も厳格に指示されるのは、一日の総エネルギー量だけである。たんぱく質、糖質、脂質などの各栄養素は、いずれも最少必要量が指示されるのみ。・・・」

総摂取エネルギーを制限しておけば、糖質制限は必要ないという立場です。

 

これ以降の食品交換表は

1973年、第3版
1980年、第4版
1983年、第4版補
1993年、第5版
2002年、第6版

2013年、第7版

と、エネルギー制限食がどんどん強化されていったようです。

現在の糖質60%、脂質20%、たんぱく質20%という総摂取エネルギーに対する比率は、おそらく米国の1986年のガイドラインの影響もあると思われます。

では、アメリカはどのような歴史をたどったのでしょうか?

 

その話は次回に。